• HOME
  • BLOG
  • 神奈川県
  • 江の島で1日のんびり過ごそう~!⑥厳かなたたずまいの江島神社の奥津宮・龍宮

江の島で1日のんびり過ごそう~!⑥厳かなたたずまいの江島神社の奥津宮・龍宮

江の島へ出かけた様子を紹介しています。

過去投稿はこちら

江の島で1日のんびり過ごそう~!①江の島駅からすばな通り
江の島で1日のんびり過ごそう~!②江の島大橋から江の島の東エリアと弁財天仲見世通り
江の島で1日のんびり過ごそう~!③江島神社にお参り。エスカーに乗って江の島の辺津宮・中津宮へ
江の島で1日のんびり過ごそう~!④江の島サムエルコッキング苑の中にあるシーキャンドルで景色を楽しもう!
江の島で1日のんびり過ごそう~!⑤「御岩屋道通り」には江の島名物の和菓子の名店や海産物ランチのお店やカフェが続きます。

「奥津宮」まであともう少しです(*^-^*)

「奥津宮西浄」
広くてきれいなトイレです。

「手水舎」
何故かお水が無くて使えないことが多いです。

「伝頼朝寄進の鳥居」
掲示物によると、鎌倉幕府を開いた頼朝は政治の方策としての信仰を大きく取り上げ、
各地に社寺伽藍を創建して、江島神社にも数度にわたって参詣、参籠し
そのつど信仰上の対象を寄進しているとされます。
確かに鎌倉の寺院は、頼朝がゆかりというものが多くありますよね。

「藤原秀衡を調伏するため、京都高尾神護寺の文覚上人に命じてて弁才天を岩屋に勧請し、
参詣の際には鳥居を寄進しました。」とあります。

現在の鳥居は平成16年(2004年) の台風で破損し、補修されたものですが、
源頼朝寄進の鳥居は、これに似たものが建てられたと伝えられています 。
(設置の場所も形も特定できません)

この鳥居の先に見えるのが奥津宮です。

「亀石」
奥津宮の境内にある大きな銀杏の木の下に「亀石」がありました。
うっすらと六角形の線が亀の甲羅のように見えます。
鎌倉四名石のひとつで「蔵六石」とも呼ばれていたそうです。

掲示物によると、弁秀堂が弁財天を信奉して金光明最勝王経を写経しここへ納め、
上に置く石を探したところ、亀の形をした石を発見したので江の島に奉納したとの事です。

「カ石」
亀石の近くにあります。掲示物によると、江戸時代に日本一の力持ちと言われた
卯之助(岩槻藩)が当神社に奉納したもの、
重さ八十貫(三二〇キロ)で、石には「奉納岩槻夘之助持之八拾貫」と刻まれている。
弁財天の祭礼に詣でた人々の 前で力競技を行なった時のものである、
と記されています。

「山田検校の像」
1757年(宝暦7年)に江戸で生まれた筝曲音楽家。
筝曲山田流の祖として知られています。
若くして失明しますが、筝曲を学び研鑽を積み重ね検校と認定を受け、
さらに江戸惣録検校に昇格されます。
代表作に「江の島曲」があり、江の島にゆかりのある検校の功績をたたえ
この地に碑が建てられました。

「奥津宮」
奥津宮は、三姉妹の一番上で海を守る神様とされる
多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)をお祀りしています。
これで江島神社の辺津宮・中津宮・奧津宮の3か所をお参りすることが出来ました~!
龍宮伝説に一番近いとされる奥津宮のエネルギー、
厳かな凛とした空気をを感じます。

「八方睨みの亀」
奥津宮の拝殿天井に描かれた亀の視線が、
どこから見てもこちらを睨んでいるように見えると言われていますが、
どのように見えますか? 不思議な絵ですね。
江戸の絵師・酒井抱一によって描かれました。

時間の経過とともに損傷が激しく、1994年に片岡華陽が復元し、
酒井抱一によって描かれた原画は、江島神社宝蔵に保管されているとの事です。
藤沢市有形文化財に指定されています。

「龍宮」(わだつのみや)
奧津宮のとなりに鎮座する龍宮は1993年(平成5年)建立されました。
御祭神は龍宮大神です。
江島神社発祥の地である岩屋の洞窟の真上に鎮座しているとの事なので、
江島神社の三宮と併せてこちらもぜひお参りしたいですね!
岩屋の洞窟の真上とは驚きです~~
ここからその洞窟の場所まで歩いて20~30分位かかった記憶があります。
地下からも地上からもエネルギーが溢れる最強のパワースポットだと思います!

龍宮のシャッターが開いている日もあったんですが、どのタイミングで開いているのかな・・

掲示物に記されている内容を残しておきます。

龍宮(わだつのみや)御歳神 龍神

江の島は湧出以来龍の棲む所と言われ、古来より龍神は弁財天信仰と習合し、
密接な結びつきから江島縁起を始め多くの伝説が残っている。

「太平記」には時の執権北条時政が江の島に参籠(さんろう) して
子孫の繁栄を祈った時に、龍(大蛇)が現れ三つの鱗を落とせり、
時政祈願成就とよろこび その三鱗を授かり家紋となす。

或は北条貞時が霊夢を見、龍池に赴くと金銅の龍頭を見たと
或るは「足利治乱記」には海に夜毎光ありて
白龍長さ甘文許(約六〇米) なるが海中より出て、
絵島石穴に飛入るを諸人多見之と、
謡曲「江ノ島」には天女が龍神と姿を現じて、
七難即滅、七福即生悪事災難を払ひて
諸願成就を宣う御声も新たに聞こえとある。

伝記は多く残されており、
この神秘なる趣意を鑑み平成六年九月吉日に
当社発祥地たる岩屋洞窟の真上に御鎮座となった。

龍神詠歌

天地の開けし抑代は平成の天の戸明けゆく
東天紅蒼海(あさみかげうみ)漫々と立ち渡り舞う光の波
今や時なる重陽に龍神の吟ずる声ありて波浪を
蹴たてて逆巻く潮の迫るとともに 龍神海上翔け昇り

五色の彩雲普々にその雲上に頭ずなり 願事叶ふ如意宝珠三光を
発し島上の龍宮に天降り給ひぬ 衆生済度の方便
生死の相助けんと・・・
御神慮幽(ふか)くにありて噫(ああ)かたじけなきかな

関連記事