江の島で1日のんびり過ごそう~!⑦「龍恋の鐘」を鳴らした後は、「稚児ヶ淵」「江の島岩屋」で江島神社発祥の地を歩く。
江の島へ出かけた様子を紹介しています。
過去投稿はこちら↓
江の島で1日のんびり過ごそう~!①江の島駅からすばな通り
江の島で1日のんびり過ごそう~!②江の島大橋から江の島の東エリアと弁財天仲見世通り
江の島で1日のんびり過ごそう~!③江島神社にお参り。エスカーに乗って江の島の辺津宮・中津宮へ
江の島で1日のんびり過ごそう~!④江の島サムエルコッキング苑の中にあるシーキャンドルで景色を楽しもう!
江の島で1日のんびり過ごそう~!⑤「御岩屋道通り」には江の島名物の和菓子の名店や海産物ランチのお店やカフェが続きます。
江の島で1日のんびり過ごそう~!⑥厳かなたたずまいの江島神社の奥津宮・龍宮
奥津宮をや龍宮を抜けると、御岩屋道通りも残りあと少し・・
稚児ヶ淵や江の島岩屋の手前まで、海鮮類が美味しい食事処やカフェがあります。
こちらの和風なお茶屋さんのわき道を通ると、「江の島龍野ヶ丘自然の森」というエリアで
龍恋の鐘を鳴らすことが出来ます。
鳴らすのは~(^-^;・・という方は、写真を撮るだけとか見るだけでも良いのでは~(*^-^*)
こちらが「江の島龍野ヶ丘自然の森」の入り口になります。
「島の茶屋あぶらや」・「海賞堂」並びの脇道を進みます。
「龍宮」の斜め向かいにあります。
入口も出口も同じところ1か所のみです。
どんどん奥に進んでも、またぐるりと周って来たところと同じ場所から出るのみです。
森の中にはトイレは1か所あります。
もともとこの地一帯は、クロマツ林があるほかは大半がササ・ススキの茂る草原だったので
潮風・塩害から周辺住 宅地を保護する目的で
1978年(昭和53年)2月から森林の造成事業を始め、現在のような森が出来上がったようです。
途中で道が二手に分かれ、「龍恋の鐘」の立て看板が若干右寄りに立っています。
左に進んでも行けない事はないですが遠回りをすることになります。
右に進めばすぐ到着です。
こちらが「龍連の鐘」
「天女と五頭龍伝説」の伝説をもとに建てられたもので、
主にカップルが永遠の愛を誓いに(だと思う・・)
鐘を鳴らしに訪れるデートスポットになっています。
私は友達と来ることが多いけど(^^;)
周囲の柵にカップルたちが鍵を付けていきます。
鍵は通りにあるお店で販売してます。
「曽禰荒助子爵の碑」(そねあらすけ)
大蔵大臣や韓国総監も務めるなど明治政府のいくつかの要職を務めた
曾禰荒助(1849~1910年)の功績をたたえた石碑が
明治44年(1911年)に、同郷人の桂太郎の資金援助により建てられたもの。
長門国(現山口県)萩藩の家老の宍戸氏の出身だけれども、
別荘が片瀬にあったことから顕彰碑が建てられたようです。
「江の島龍野ヶ丘自然の森」を出た並びにある占い処、たこ焼き屋の「海賞堂」
その隣のお茶屋、土産物屋の「島の茶屋 あぶらや」
龍恋の鐘の周りの柵に付ける鍵はこちらで購入できます。
食事処「江の島 魚見亭」
美しい海の景色を眺めながら海鮮類をメインにした料理をいただけます。
「魚見亭」の並びに「富士見亭」さんという食事処がありますが、写真撮り忘れ。
「美晴亭」
この階段を降りると、「稚児ヶ淵」や「江の島岩屋」に到着です。
「芭蕉の句碑・佐羽淡斉の詩碑・服部南郭の詩碑」
掲示物によると、芭蕉の句碑 (右から2番目) は、
握り飯の半面を押しつぶしたような素朴な碑型の河原石で、
「潮墳」の碑と称されて観光客に親しまれています。
青緑の色濃い自然石を程よく活用して
「疑ふな 潮の花も 浦の春 は せを」と彫りこまれたこの句は
二見ヶ浦(三重県) での作ですが、ここの自然環境に溶けあっています。
佐羽淡斉の詩碑 (右から3番目) は、野火で碑面が剥落していたのを、
4代目の子孫が再建したものです。
淡斉は、上州桐生の人で、大窪詩佛門下の詩人です。
全国の名所旧跡を遍歴して百詩碑建立を図り、江の島の碑はその第1号として建てられました。
服部南郭 (右から4番目) の詩碑は、島内で一番古い詩碑で、高さ95cm、幅35cm表に
七言詩、 背面に文化2年(1805年) これを建立したと識語されてあります。
南郭は、京都に生まれ、江戸に出て、儒学者荻生徂徠の門に学び、
後に柳沢吉保に仕え、詩文をもって知られた人です。
江の島には幾度も来遊し、そのたびごとに、江の島にちなんだ詩をのこしましたが、
この詩は南郭の快心の作といわれています。
「稚児ヶ淵」到着です。
天気も最高に良くて、波も高くなく、風も穏やかなこの日のような陽気だと
大人も子供もみんな岩棚で遊びますね~!!
さらに進んで「江の島岩屋」に入ってみようと思います。
波の浸食によりできた海食洞窟、洞窟内は夏は涼しく冬は暖かいのですね。
岩屋は2か所に分かれていて、まず最初の岩屋に入ります。
「与謝野晶子 歌碑」
沖つ風 ふけば またたく 蠟の日に 志づく散るなり 江の島の洞
晶子研究の第一人者、歌人尾崎左永子女史によって描かれ、
碑は、藤沢市在住の中山成彬氏の発願により建てられ、市に寄付されましたとあります。
ろうそくを貸し出してもらい歩きました。
混雑時などには貸し出しは無いとの事ですが、洞窟のところどころに照明が付いているので
ろうそくは無くても歩くのには支障はないと思えます。
「江島神社発祥の場所」
通路の脇には石碑が多く見られます。
第一岩屋を出て海沿いを通り、第2岩屋へ行く途中に「亀石」を発見! 写真撮り忘れ。
掲示物によると、片瀬の中村石材の先代の「中村亀太郎」氏作のようです。
今にも動き出して太平洋を泳いでいくように見えました。
「第二岩屋」に到着です。
奧の方にこちらの絵とともに(天女と五頭龍伝説)が紹介されていました。
天女と五頭龍(江の島生まれの伝説 )
掲示物によると、昔むかし、鎌倉の深沢山中の底なし沼に五つの頭を持つ悪魔が住みつき、村人を苦しめていました。
子供をいけにえに取られることから、この地を子死越(こしごえ)と呼んで恐れられていました。
ある時、子死越前方の海上に密雲が何日にもわたってたれこめましたが、
天地が激しく揺れ動いた後、天女が現れ、雲が晴れると今まで何もなかった海上に一つの島ができていました。
これが現在の江の島とか。
天女の美しさに魅せられた五頭龍は、結婚を申し込むのですが、悪行が止むまではと断られてしまいました。
その後、心を改め結婚することができたと言われています。
この伝説の天女が、江の島に祀られている弁財天といわれ、五頭龍が龍口明神社として鎌倉市腰越に祀られています。
願い事を祈りながら太鼓をたたくと、その後の光の点滅具合で運勢を当ててくれる・・
まるでおみくじのような太鼓ですね!
長い年月をかけて浸食によって出来上がった洞窟、人の手が入り整備をしてくれたおかげで
このように洞窟内を見学できるようになったのを思うとありがたい事ですね~
第二岩屋を出た後にもう一度洞窟内に入るような経路になっていて
祀られている石碑や洞窟の成り立ちに関する掲示物を見ながら出口へと進みます。
これで岩屋の見学は終わりますが、帰り道はエスカレーターはないので
自力で階段を上って行かなくてはいけません。
なかなか大変です(-_-;)(-_-;)
いつも私は休み休み上る始末です・・
今日は天候が良く「べんてん丸」が運航しているのを確認済みなので
船に乗って一気に帰ろうと思います。